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山田 竜也

株式会社鳥藤本店 マネージャー

原点に立ち返り、ラーメンで地域をつなぐ、人をつなぐ

1949年創業の鳥藤本店さんが運営するラーメン店「浜鶏(はまど~り)ラーメン」。4年前に富岡町の「さくらモールとみおか」内に直営店がオープンし、今年4月には「いわき・ら・ら・ミュウ店」がオープンしました。「浜鶏」は、福島県の「浜通り」と掛けたネーミング。そこには浜通り地域の名産ラーメンになることを目指す、鳥藤本店さんの熱い想いが込められています。
アクアマリンやマリンタワーなどいわきの名所が集まるスポットにある、ら・ら・ミュウ店にお邪魔し、マネージャーの山田さんにお話を伺いました。

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戦後、自転車一台から始まったラーメン屋さん
山田さんにお話を伺う前に、まずは一杯頂いてみないと!ということで、少し早めにお店に入り、早速『浜鶏ラーメン』と『浜鶏かつお節ラーメン』を注文。スタッフの方があっという間に作ってくださいました。
『浜鶏ラーメン』はお店の看板メニュー。こだわりの鶏ガラスープに、角切り鶏チャーシューや上品な味付けの煮卵など細かい具材にもひと手間を感じる逸品です。ら・ら・ミュウ店限定の『浜鶏かつお節ラーメン』には、注文後にその場で削ってもらえるかつお節が、これでもかとたっぷり。鶏だしとかつお節の風味が絶妙にマッチして箸が止まりません…!お腹いっぱいになったところで、創業から現在のラーメン事業について、山田さんからじっくりお話を伺いました。
「戦後まもなくだったんですが、当時まだ17歳だった先代社長が自転車で廃鶏をいろんなところからもらってきて商売を始めたのが創業のきっかけです。大正時代から続く富岡の「えびす講市」というお祭りで、廃鶏から出たガラを使ったラーメンを作り販売したところ、行列ができるほどになったそうで。そこから様々なメニューを扱う食堂の運営に発展していき、地元の方に応援されて長年続けていました。1969年に福島第一原発の誘致があり、数千人の従業員さんが働く施設内に、ぜひ地元の食材を使った食堂をということで依頼がありまして、その頃から社食や寮の管理業務などで事業が拡大して、震災前の時点で35施設ほどを受け持つようになりました」

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もう一度原点のラーメンを
会社の規模も大きくなってきたところで、ある程度投資もして新しい社屋を作ることになり、地鎮祭をおこなったその2日後に、東日本大震災。原発内の施設はもちろん、富岡町全体が緊急避難となり、会社は一度ゼロに。炊き出しの業務などから10年間地道に繋ぎ、現在は福島第二原発内の食堂含めた7施設ほどの管理を担当できるようになりました。

「4年前、復興の証の一つとして富岡にさくらモールができる時に、せっかくなのでお店をやってもらえませんかというお話をいただいて、いろいろと考えた末、うちの原点であるラーメンにもう一度スポットを当ててやっていこうとなって始まったのが浜鶏ラーメンです。昔と同じ味を再現したく、最初は自分たちで鶏ガラからスープをとってやっていたんですが、どうしても味にブレが出てしまう。そこで、繋がりのあるラーメン屋さんの協力も受けながらスープ開発をずっと長いこと進めてきまして、しっかり手順通りに作れば、先ほど食べていただいたような美味しいラーメンをちゃんと作れるシステムを開発しました。おかげで味ブレしないラーメンを安定して提供できるようになり、そのスープ開発に基づいてお土産ラーメンの販売もできるようになったんです。
うちは給食事業を手掛けているためセントラルキッチンがあるので、そこでスープやチャーシューは手作りしています。社長(藤田社長)も大のラーメン好きとあって、スープにはかなりこだわっていて。お土産用のラーメンも、お店と全く同じスープを使ってるんですよ」

山田さん自身は1年ほど前に入社し、ら・ら・ミュウ店のオープンに携わりました。愛知県の出身で、ごく普通に大学を出て就職をしようと思っていましたが、アメリカ一周旅行をきっかけに考え方がガラリと変わります。「自分で何かを立ち上げたい」との思いから、居酒屋でのアルバイトをきっかけに踏み込んだ「食」の世界へ。

「お客さんから直接お金をもらって、「ありがとう」「美味しかったよ」と直に感謝される仕事ってあんまりないじゃないですか。そこに魅力を感じたんです。一つ、自分が表現したかったのが、おばあちゃんの手料理。いろんな地域を旅行していろんな食に触れた中で、一番うまいと思ったのがそれだったんです。数年間の準備期間を経て、おばあちゃんの手料理をビュッフェ形式で提供する事業を始めました。ヘルシーさや栄養バランスにこだわり、女性を主なターゲットにしていたんですが、一つ誤算があって…。女性のお客さん、めちゃくちゃ食べる(笑)。予想をはるかに上回る量を皆さん食べられるので、原価は見合わなくなるし、食材を確保する方法もなくなってくるしで、一旦会社自体をたたんじゃいました。その後、居酒屋系の会社で統括部長として働きつつ、何か食を通して地域を盛り上げられるような面白い仕事はないかと探していた時に、ちょうど縁があったのが鳥藤本店だったんです。初めて会った藤田社長は、人としても経営者としても尊敬できると感じ、以前居酒屋チェーン会社のいわき店舗立ち上げに関わった経験から福島に思い入れもあったことから、入社を決めました」

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浜通りをつなぐ、名産ラーメンを目指して
コロナの影響で、東京への出店計画も中止になる中、「浜鶏ラーメン いわき・ら・ら・ミュウ店」の立ち上げに踏み切った山田さんたち。浜通りを盛り上げたい、その入り口にラーメンがあってほしい、というのが社長の想いです。会津は喜多方系、中通りは白河系、しかし浜通りはこれといったものがなかったので、浜鶏ラーメンが浜通りを代表するラーメンになることを目標にしています。

「会津や中通りに比べて、元々浜通りの市町村は独立してバラバラな雰囲気がありました。ですので、震災後はいわきを含めた浜通りの市町村をつないでいきたいなと。ラーメン事業も給食事業も、最終的には「つなぐ」ことがテーマになっています。コロナがなければ東京に出す予定だった店舗も、上京した浜通りの若者が東京で浜鶏ラーメンを食べて、「ちょっと里帰りしてみようかな」という気持ちになるとか、そういった地域と人のつながりができたらいいなとの思いでした。
いずれは浜通りのラーメンといえば、うちのラーメンの名が挙がるように。ファミリー層にも楽しんでもらえる、ちょっと贅沢な本格ラーメンを目指したいです。今は核家族化も進んで、おばあちゃんの美味しい手料理のような食文化を継ぐ人が少なくなってきているので、そういった独自の味やレシピを大事につないでいきたいですね。福島ではファミリー層のお客さんも多く、現在はそれに近いことができているんじゃないかな。そういった意味では、会社の成長と自分の想いがリンクしています。浜通りの代表ラーメンを目指し、会社が成長していくに従って、どんどん地場の食材を使った食で人がつながる。食を通して地域を盛り上げる、地域の食文化を大切にするという、自分の思いも叶えられる。今の自分にぴったりの職だと思っています」

帰り際、お土産ラーメンをついつい購入。自宅でもお店に近い味を再現でき、自分好みのトッピングにできるのも良いところ。鶏チャーシューの代わりにコンビニのサラダチキンでも美味しくいただけます。ラーメンを通して浜通りを盛り上げたい、浜通りの市町村や人をつなぎたいという、鳥藤本店さんや山田さんの想いを伺った後に食べる浜鶏ラーメンは、またちょっと違った温かさを感じられる気がしました。

つながる

「浜通りを代表する名産品に育てたい。」という想いから、研究を重ね納得の味にたどり着き「浜鶏ラーメン」が完成しました。鶏の旨味をギュッと凝縮したスープとほどよく縮れた中細麺との相性は抜群。ご家庭でもプロの味を楽しんでいただけるようお土産もご用意がございます。浜通りを代表する「浜通りの浜鶏ラーメン」を是非お楽しみください。

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